えー我が国では国会の第1院にあたる衆議院が解散され、選挙の季節に突入しているわけですが、この時期だからこそ確認しておくべきことがいくつかあるように思えますな。
たとえば、選挙権と被選挙権の意味。「権利」としてはありますが、これは民主主義社会を構成する成員としての義務でもあるということ。
たった1票と言うなかれ。それを放棄することは、時の政府に自分の全てを委ねても文句を言わない、ということを意味するのだから、たとえ白票であろうとも一票を投ずることが民主主義社会の成員には求められるのである。
次に、投じた票の行方、納めた税金の行方に関心を持つこと。自分が票を投じた候補・政党が議席を得たか得ないかに関係なく、これも民主主義社会の成員としての当然の義務だと思うわけですが...そんなに自分が政治に参画することを厭うのであれば、寧ろ積極的に王政復古の運動に荷担するべきじゃないかと思うのはあたしだけだろうか?
勿論、あたしは王政復古も軍政クーデターも御免蒙るから、それらよりはましな体制と言えるであろう民主主義体制の維持に当面荷担するわけであるが。
さて、日本の8月は何度も触れているが鎮魂の夏と言えよう。広島・長崎の原爆忌、敗戦記念日、そして日本の大半の地域ではお盆の季節でもある(あたしの在住地である北海道根室市の市街地域は7月盆なので、お盆は既に過ぎ去っているが)。
広島市の秋葉市長、長崎市の田上市長が共に触れたアメリカ・オバマ大統領の「核のない世界へ向かう決意」演説への支持。
アメリカは言わずと知れた世界一の核大国であり、世界で唯一実際の戦争に核弾頭を使用した国でもあることを考えるなら、アメリカ軍が核を全廃するためには相当の時間が必要になることは論を俟たないだろう。
それでも、そんなアメリカが一歩を踏み出す意味、ということを考えてもらいたいのだ。日本の自衛隊でさえ、対人地雷全廃条約を批准してから実際の全数廃棄に至るにはいくらかの時間を要したことを思い出して欲しい。それよりも圧倒的に大きな規模、しかも廃棄物の処分にとんでもない時間と手間暇のかかる核兵器なのである。一朝一夕に廃絶できるような性質でないことくらいは容易にご理解いただけるのではあるまいか。
であればこそ、今すぐになくなるわけではないのだから、と我が国が駆け込みで核を持とうとするような動きには断固とした態度でNoを突きつけねばなるまい。64年前の夏、我が国は「核兵器とは何か」という現実を目の当たりにしたのではなかったのか。そして、他人が嫌がることをしない、というのは、我が国において普通に尊ばれる道徳の一つではなかったのか。
今更ながらに、武村正義が「小さくともキラリと光る国」を提唱したことの重要性を想起せずにいられない。そして、それこそが日本国憲法の前文に掲げられた「国際社会に名誉ある地位を占める」ことではないのだろうか。