「死刑の存置が国民のニーズに合致する」というのであれば

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えー、ついぞ先日、残念ながら現在もなお死刑存置国である我が日本国において、ふたりの未執行死刑囚に対して死刑の執行がなされたわけでございますが、その一方で、現在「国際人権規約」という国際的な人権に関する取り決めを批准している日本国に対しまして、その履行状況の定期的な審査が自由権規約委員会によって行われ、司法制度や従軍慰安婦関連の問題など、人権理事会の理事国でもある日本に対しては随分と厳しい視線が注がれた、というようなニュースがあったばかりだというのに、日本政府の定例報告においても国民世論が死刑の廃止を許す状況にない、として、堂々と死刑存置の正当性を言う程ですから、この死刑執行のニュースもまぁこの国では宜なるかな、てなもんでござんすが、現在は国民新党の亀井静香衆院議員が代表を務めている死刑廃止議連による強い抗議のニュースがありました。警察官僚出身の、それもタカ派で鳴らした保守政治家である亀井静香さんが随分と昔から死刑廃止を持論として掲げていることは、意外といっては失礼に当たるのですが、彼が自民党に籍を置いていた頃からの有名な事実です。

さて、ここで些か古い記事ですが、村野瀬玲奈さまの秘書課ブログから、1981年、フランスにおいて死刑制度が廃止されたときのフランス法相、ロベール・バダンテールの演説を引きやしょう。些か長い引用になりますが、村野瀬さまによる邦訳の全文はリンクからどうぞ...てなことで、以下続きへどうぞ。

直近の立法議会会期の間にいくつもの政府がみなさんの国会に死刑廃止を付託することを望まなかったのは何故でしょうか?法律委員会やみなさんのうちのこんなにも大勢の方々が勇気をもってこの議論を要求していたのにもかかわらず、です。何人かの政府のメンバー、それも少なくない人数は個人的に死刑廃止に賛成だと表明していました。しかし、死刑廃止を提案する責任を負っていた人々の発言を聞いて、私たちはそこでもまだ、急いで待っている状態だという気持ちでいたのです。

200年待ったのです!

待ちました。死刑、つまりギロチンが、摘み取る前に熟させなければならない果実であるかのように。

待つ、とはどういうことでしょうか。実際、その理由は世論への恐れだったと私たちはよく知っております。代議士のみなさん、そもそも、死刑廃止を可決するというのは世論を無視することになるから民主主義の規則を理解していないことになる、とおっしゃる方々もいるかもしれません。それは全く違うのです。

死刑廃止を議決する瞬間、みなさん以上に民主主義の基本の掟を尊重している人はいないのです。

ある偉大なイギリス人が使ったイメージにしたがうならば、私が参照するのは、議会は国のために闇から道を切り拓く灯台であるという発想だけではありません。普通選挙の意思であり、また、議員にとっては普通選挙の尊重であるという二つのことを意味する、民主主義の基本法則だけを私は参照しております。

さてそこで、この死刑廃止の問題ですが、(訳者補足:1981年の今回の大統領選挙と、それに続く総選挙で)これは2度にわたって世論の前で提起されたことを改めて強調いたします。

個人的感情、つまり死刑に対する嫌悪だけでなく、当選したら死刑廃止の要請を議会に付託するように政府に依頼するという意思をも、共和国大統領(フランソワ・ミッテラン)は非常に明快にすべての人に知らせておりました。この国はそれに対して肯定の意思表示をいたしました。

その後、総選挙がありました。選挙運動期間中、政策プログラムの中で...

アルベール・ブロシャール議員: 何の政策プログラムだ?

法務大臣: ...死刑廃止を公式に表明しなかった左派の政党はありません。この国は左派の多数派を選んだのです。つまり、この国は、死刑廃止を道徳的義務の冒頭に記載した立法プログラムを承認するということを、事情を心得たうえで知っていたのです。

議員のみなさんが死刑廃止法案を可決するというのは厳粛な協約です。選良を国に結びつける協約であり、選良としての第一の義務は選んでくれた人々との約束の尊重であるという協約であり、普通選挙の尊重とみなさんのものである民主主義の尊重というこの手続きなのであります。

死刑廃止はすべての人間の良心に問題を提起するという理由で、国民投票によってのみ死刑廃止は決められるべきだと言う人もいます。もしこの別の選択肢があるのであれば、この問いは考慮するに値するのかもしれません。しかし、みなさんも私同様よくご存知の通り、そしてまた、レーモン・フォルニも先ほどみなさんに指摘したように、この道は憲法上閉ざされております。

次のことは申しあげるまでもないのかもしれませんが、第五共和制の創立者であるシャルル・ドゴール(訳注:1890-1970。軍人、政治家。第二次世界大戦中、ドイツによるフランス占領に抵抗。第五共和政の初代フランス大統領を1958年から1969年までつとめた。彼の強硬な政治路線はドゴール主義と呼ばれ、フランス政界への影響は大きい)は、社会に関する問題、いわば道徳の問題が、国民投票の手続きで断じられることを望まなかったということを国民議会のみなさんに想起していただきたいのです。

また、これも代議士のみなさんに対して私から申しあげる必要はないと思いますが、憲法の用語でいえば代議士だけが持つ権限に属している中絶の刑法的制裁も死刑の刑法的制裁も、刑法の中に記載されております。

したがって、この問題を国民投票に頼ろうと主張すること、この問題に国民投票によってのみ対応しようとすること、それは憲法の精神と条文をわざと無視することになります。それはまた、世論を恐れるがゆえに、自分の立場を公にすることを、誤った資格によって拒むということを意味します。(社会党議員席と、一部の共産党議員席から拍手。)過ぎ去った年月の間、この世論を照らすために私たちは何もしませんでした。それどころか、死刑廃止国の経験を見ることを拒んできたのです。私たちの近所であり、姉妹であり、隣人である西洋の民主主義大国が死刑なしで経験することのできた本質的事実について問いを発することをしてきませんでした。欧州評議会、欧州議会、犯罪撲滅研究部会という枠内での国連自身も含めたあらゆる大きな国際機関によって行なわれてきた研究を私たちは無視してきました。私たちは、このような諸機関の不変の結論を無視してきたのです。刑法の中に死刑があるかないかということと、血みどろの凶悪犯罪の発生率グラフのカーブの間になんらかの相関関係があると立証されたことは決して、一度もありません。これらの明白な事実をはっきり示して強調するのではなく、私たちは逆に、不安を持ち続け、恐怖を刺激し、混乱を促進してきました。議論の余地がなく、痛みが伴い、それでいて直面しなければならないこの発展に当てる光を私たちはさえぎってきたのです。その発展は経済社会状況、暴力による小規模・中規模の非行の状況に結びついておりますが、いずれにしても死刑とは全く関係ありません。しかし、フランスでの凶悪犯罪発生率は、住民数を考慮に入れても、変化することは決してなく、むしろ滞る傾向があるという事実に、高貴な精神を持った人々ならば賛成することでしょう。そのことについて私たちは口を閉ざしてきたのです。一言で言えば、私たちは選挙のことを考えてきましたので、世論に関しては人々の不安をあおり、世論に対しては理性の弁護をしないできたということなのです。(社会党議員席と、一部の共産党議員席から拍手。)

実は、死刑の問題は、明晰な精神で分析しようとする者にとっては単純なことであります。犯罪抑止効果についても、抑圧手段についても、死刑の問いは提起されようがないのです。政治的選択についてか、あるいは道徳的選択についてしか、死刑の問いは提起されないのです。

すでに申しあげたことでありますが、以前の深い沈黙も見ましたから、すすんで繰り返し何度でも申しあげます。犯罪学者が行なってきたあらゆる研究が示してきた唯一の結果は、死刑と凶悪犯罪率の変遷の間には関係がないという事実が確認されたということです。この点について改めて次のような研究を指摘いたします。1962年の欧州評議会の研究。イギリスが死刑を廃止することを決定し、それ以降2度にわたって死刑復活を拒否する前に死刑廃止国すべてについて行なわれた慎重な研究であるイギリスの白書。同じ方法にしたがって行なわれたカナダの白書。国連によって作られた犯罪予防委員会によって行なわれた研究。その最後の文章はカラカスで昨年練り上げられておりました。最後に、欧州議会によって行なわれた研究。その研究には私たちの友人であるルディさんもかかわっております。そして、それらの研究はこの重要な採決にまでたどりついたのです。その採決を通して本国会では、本国会が代表するヨーロッパ、もちろん西ヨーロッパという意味ですが、そのヨーロッパの名において、欧州から死刑がなくなるようにとの圧倒的多数の意思表明がなされたわけです。すべての人が、私が申しあげた結論に賛成しております。

それに、誠実に問いを発しようとする者にとっては、なぜ死刑と凶悪犯罪の発生率の変遷の間に犯罪抑止的関係がないのか理解することはむずかしくありません。これだけひんぱんに探求に専念しているのに他のところではその根拠を見つけることができない犯罪抑止的関係のことにはあとで立ち戻ります。そのことについて単純に考えるなら、最も恐ろしい犯罪、大衆の気持ちを最も強くとらえるということが理解できる恐ろしい犯罪、すなわち凶悪犯罪と呼ばれる罪は、しばしば、理性の防御までなくしてしまう暴力と死の衝動に我を忘れた人間によって犯されるものだということなのです。この狂気の瞬間、この殺人の激情の瞬間に、死刑であれ終身刑であれ刑罰を想起することは、殺人者にはありえないことなのです。

これらの者たちを死刑にすることはないとはおっしゃらないでください。ここ数年の年報を見直すだけで、それと反対のことを納得できます。処刑されたオリヴィエは、司法解剖の結果、前頭部に異常があったということが明らかになっています。また、ジェローム・カラン(訳注:この演説の中で後述されるが、精神遅滞のあるアルコール中毒の殺人犯。バダンテール弁護士が弁護を担当。1977年に死刑に処せられた)しかり、ミシェル・ルソー(訳注:7歳の少女を撲殺した犯人で、アルコール中毒であった。バダンテール弁護士が弁護を担当し、死刑判決が回避された)しかり、ノルベール・ガルソー(訳注:1952年、27歳の時に若い女性を殺害し無期拘禁刑を宣告された。仮釈放後、再び若い女性を殺害した。インドシナ戦争への従軍の経験が彼に心理的影響を与えていたようだった。バダンテール弁護士が弁護を担当し、死刑判決が回避された)しかりであります。

一方、ほかの者たち、いわゆる冷静な犯罪者たち、つまり、いろいろなリスクを測る者たち、利益と刑罰について熟考する者たち、これらの者たちが死刑台にかけられる危険をおかす状況におちいることは決してありません。理性をそなえた強盗、犯罪から利益を追求する者、準備万端の犯罪者、売春斡旋業者、密輸人、マフィア、これらの者たちは決してそのような状況におちいることはないのです。絶対に!(社会党議員席と共産党議員席から拍手。)

死刑について現実に基づいて記載されている司法年報をひもとくなら、ここ30年の間、「大」ギャングの名前は出てきておりません。もしこの種の者たちを指してこの形容詞を使うことができるなら、ですが。つまり、「民衆の敵」の名は一人も出てきてはいないのです。

ジャン・ブロカール議員: では、ジャック・メスリーヌ(訳注:1970年代初頭、多くの脱走と武装襲撃で知られた「民衆の敵ナンバーワン」と言われた犯罪者)はどうなんだ?

ヤサント・サントーニ議員: ビュッフェはどうなんだ?ボンタンはどうなんだ?(訳注:1971年9月、フランス北東部シャンパーニュ地方オーブ県の小さな町クレルヴォーで、刑務所から二人の囚人が脱走を図り、人質をとって立てこもった。脱走を図ったのは、殺人で終身刑を受けて服役中だった元落下傘兵のクロード・ビュッフェと、強盗で20年の刑に服していたロジェ・ボンタンの二人。一昼夜の交渉の末、憲兵隊が突入したところ、人質は殺されており、この事件はフランス中を揺るがせた。オーブ県の県庁所在地のトロワで行われたこの事件の裁判でボンタンの弁護にあたったのがバダンテール弁護士であった。ビュッフェが人質殺害の張本人であり、ボンタンは殺害に手を下してはいなかったが、ボンタンはビュッフェの共犯とされて二人とも死刑を宣告され、破棄申し立ても大統領への恩赦請願も却下され、二人は1972年11月21日に処刑された。バダンテール弁護士はパリのサンテ刑務所の庭で二人の処刑を見た。)

法務大臣: 彼らは、司法年報がまとめていて、私が前に述べた、「ほかの人々」の分類に入ります。

実は、死刑の犯罪抑止価値の存在を信じる人たちは、人間の真実を知らないのです。犯罪の激情は、逆にほかの高貴な激情よりも死の恐怖によってもっと効果的に抑えることができるわけではないのです。

そして、もし死の恐怖が人間を押しとどめるのであれば、偉大な兵士も、偉大なスポーツ選手もいないことになってしまいます。私たちはそういう人たちを賛美しますが、彼らは死の前でためらうことはありません。ほかの激情に我を忘れたほかの人々も同じくためらうことはありません。死の恐怖こそが人間を極度の激情の中で抑制するのだという考えが作られてしまうのは、死刑があるからでしかないのです。その考えは正確ではありません。

ここで、処刑された二人の死刑囚の名前が出ましたので、ほかの誰よりもまず私から、死刑には犯罪抑止効果がないということを証明いたします。トロワ(訳注:下に出てくるパトリック・アンリによる児童誘拐殺人事件が起こり、その事件の裁判も行なわれたフランス東北部、シャンパーニュ地方オーブ県の県庁所在地。ビュッフェ・ボンタン事件の裁判があったところでもある)の裁判所の周りで、ビュッフェとボンタンが通るときに「ビュッフェを殺せ!ボンタンを殺せ!」と叫んでいた群衆の中に、一人の若い男性がいました。その名をパトリック・アンリといいます。(訳注:1976年2月、トロワで8歳のフィリップ・ベルトラン少年が身代金目当てで誘拐され、行方不明になった。ベルトラン家と付き合いのあった若い男性パトリック・アンリが容疑者として取調べを受けたが、容疑不十分で釈放になった後、「こんな誘拐事件の犯人は死刑にすることに賛成だ」と発言した。その数日後に、アンリが彼の借りていた部屋にいたところを警察に取り押さえられたとき、ベッドの下から死後約1週間のフィリップ少年の死体が発見された。殺人者アンリへのかつてない憎悪がたちまちフランス全土に広がり、世論は沸騰し、二人の内閣閣僚が三権分立を無視してアンリを死刑にせよとまで発言し、テレビ番組は声高に死刑を叫び、アンリの両親にマイクを突きつけて焦燥した父親に「死刑は息子の行いにふさわしい」などと無理やり言わせるほどだった。フランスにおける凶悪犯罪の代名詞のようになったこの事件で、トロワの近くの町の弁護士会会長ロベール・ボキヨンとともにパトリック・アンリの弁護を引き受けたのがバダンテール弁護士だった。バダンテールの弁護により、最終的に死刑判決は回避され、アンリは終身刑の判決を受けた。)信じていただきたいのですが、このことを知ったとき私は驚愕いたしました。その日、死刑の犯罪抑止価値が何を意味するのか私にはわかったのです!(社会党議員席と共産党議員席から拍手。)

ピエール・ミコー議員: そんなことはトロワに説明に行け!

法務大臣: みなさんはご自分の責任を意識する国会議員です。私たちの友人であり、偉大な西洋の民主主義諸国の運命を指導し、その責任を負う国会議員は、自由の国に属する道徳的価値への欲求が自分の中でどれほど強いものであろうとも、死刑には凶悪犯罪を抑止する価値があるとしてある程度の有用性があると考えたとして、責任あるこれらの議員たちは死刑廃止に賛成票を投じたであろうとみなさんはお思いになりますか?あるいは、死刑を復活させなかったであろうとお思いになりますか?そう考えることは国会議員への侮辱でありましょう。

アルベール・ブロシャール議員: ではカリフォルニアではどうなんだ?レーガン(訳注:ロナルド・レーガン。1911-2004。元俳優で、1966年にカリフォルニア州知事に選ばれ、アメリカ大統領を1981年1月20日から1989年1月20日までつとめた保守派政治家)はたぶんけったいな奴なんだろう!

法務大臣: レーガンさんにはその言葉をお伝えしましょう。きっとその形容を喜ぶと思いますよ!

いずれにしても、前任の共和国大統領(訳注:ヴァレリー・ジスカール=デスタン)が死刑への個人的な嫌悪を、通常プライベートながら前向きに告白していたのですから、1974年にフランスで死刑廃止法案が採決されていたならば死刑廃止が正確に何の意味を持っただろうかと具体的に問い直せばよいのです。

仮に死刑廃止が1974年に可決されていたとしたら、1981年に終わった7年間の大統領任期の間に、フランスの安心と安全のためにそれは何を意味したことでありましょうか。以下のことだけです。3人の死刑囚が私たちの教護施設に今いる333人に加わっただけだったでしょう。3人増えるだけ、なのです。

その3人とは誰でしょうか?思い出していただきます。クリスチャン・ラニュッチ(訳注:少女を誘拐し殺害したとされ、1976年に死刑に処せられたが、警察の捜査と予審に誤りが多いことが明らかになっていて、冤罪の疑いが強い)。彼の件についてはあまりにも多くの疑問が出されていますので、深入りしすぎないように気をつけましょう。正義に燃えた意識を持った人々にとっては、死刑を弾劾するにはこれらの疑問だけでよいと思います。ジェローム・カラン。精神遅滞があり、酔っ払いで、恐ろしい罪を犯しました。しかし、被害者の少女を殺す少し前に、村人みんなの前で彼女の手をとりました。このことは、彼を殺人に駆りたてた力が彼自身にはわからなかったということすら示しています。(共和国連合議員席とフランス民主連合議員席の一部からざわめき。)最後に、ハミダ・ジャンドゥビ(訳注:チュニジア人の労働者で、仕事上の怪我で片足を切断されていた。その事故までは勤勉で正直な人間と思われていたが、事故後サディストのポン引きになり、若い女性を拷問し殺した。1977年9月10日、フランスで最後に死刑執行された囚人)。彼は片足を失っていた人間で、彼の犯罪がどれだけ恐ろしいものであっても、そして、その恐怖という言葉は強すぎるとは言えませんが、彼は平衡障害のあらゆる症状を呈していました。そんな彼は義足をはずされてから死刑台に運ばれていったのです。

死後の憐みをかけるようにみなさんにお願いしようというのが私の考えではありません。ここはそういう場所でもそういう機会でもありません。しかし、私たちは、最初の人間についてはその無実について、第二の人間については精神遅滞であったことについて、第三の人間については片足を失った人間であったことについて、今もなお問い直していることをお考えいただきたいだけなのです。

もしこの3人の人間がフランスの刑務所に入れられているとしたならば、フランス市民の安全は何らかの意味で危うくなっていると主張できるでしょうか?

アルベール・ブロシャール議員: 信じられない!ここは法廷ではない!

法務大臣: これが死刑の真実であり、死刑の正確な範囲なのです。単にそういうことなのです。(社会党議員席と共産党議員席から長い拍手。)

では、「死刑の存置こそが国民世論に適う」という日本政府の主張を国際社会に認めさせようというのであれば、日本国政府が取るべき立場とはなんでしょうか。
あたしに言わせるなら、それは、「日本国が国際人権規約の批准を破棄し、国連人権理事会の理事国という立場も辞退し、我が国はハムラビ法典の原則を採用する、と声高に宣言すること」に外ならないでしょう。

しかして、それは、日本において犯罪を犯した後に母国に帰国した被疑者に対して、日本において裁判を受けさせる道を閉ざす方向に作用するでしょう。実際に、日本が死刑村遅刻であるが故に、身柄の引き渡しが当外国の国内法制上不可能となり、日本政府の妖精によって当外国での代理処罰にようやっとこぎつけた、なんていう例が数年前にあったことを思い出します。確かブラジルだったでしょうかね、あれは。

兎も角も、バダンテールが指摘するように、この問題は政治が世論をリードしていくべき問題なのであって、「世論を実現することこそが政治」というポピュリズム的な立ち位置ではいかんのではないでしょうかね。

未だに「法治国家」になれていない日本を、まずは法治国家にするために、隗よりはじめる、てなことなんでしょうかな。

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    このページは、McRashが2008年10月30日 02:11に書いたブログ記事です。

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